【誕生物語1】23年間勤めた会社を辞める!

誕生物語1

25年前(2013年時)、23年間勤務してきた会社に「退職願」を提出しました。
当時の私は、営業職の部長として常にトップの成績を挙げていました。

なぜ退職届を出したかと言うと、実は、P社(現在は、会社名が変わっています。)という会社から「地元FCリフォームショップの店長になってくれ!」とお誘いを受け、それに応じることにしたからです。

「退職願」を見た社長は、「今、キミに辞めてもらったら困るんだよ!それはキミにもよく分かるだろう!」と、何度も引き留めにきました。「キミに取締役になってもらうから・・」とまで言われましたが、結局、まるまる2年間かけて退職しました。
当初は、退職願を受け付けてもらえなかったので、「どうしたら円満に退職できるだろう?」と、そればかりを考えていましたが、社長からの引き留めにも応じない私は、会社側からは反逆者扱いを受けることになりました。

営業は、毎日、毎月、毎年と「数字」を求められます。ルート営業(固定客がある)だったり、バブルがはじけた頃だったので、まだまだ数字も確保できました。しかし、ルートの固定客を部下に全て譲り、一見客のみで数字を挙げようとするには大変なことでした。

毎週水曜日に行われていた営業会議には、目標と実績を報告しなければならないからです。今となってみれば、その時、数字を上げるためにやっていた戦略もずいぶんと参考になっていますが、その当時は、本当に大変な日々でした。
昭和60年頃は、米子市をはじめとする山陰地方には、一般の方向けの商品をご覧頂ける場所(いわゆるショールーム)がありませんでした。在職時代(退職3年前より)、この地方では初めての総合ショールームを開設しようと社長を説得し、住宅設備ショールーム開設のプロジェクトリーダーとして、自社内倉庫を改装してショールーム開設にこぎつけました。100坪以上の面積を有し、ドイツ製のキッチンを始め、国内屈指の有名メーカーを展示する画期的なショールームでした。(当時、1000名を超える来場者のイベントも花を添えました。)

ドイツ製のキッチンを取り扱うということで、本場の展示会を確認するべく、ドイツの「ケルンメッセ」にも足を運びました。(平成元年のことです。)当然ながら会社としては費用など出してくれるはずもなく、自費で、しかも有給休暇を取ってメッセへ乗り込みました。ショールーム展開の影響もあって、高級システムキッチン(定価ベース1200万円)も販売しました。

社内の営業マン達はショールーム展開にこぞって反対してきました。「資材店が一般客を獲得すると、工務店から批判を浴びる!」「だから工務店の取引がなくなり、数字が出ない!」とも。(時代が流れていることを、営業マンたちは知る由もなく、どこの企業でもある「数字が出ない言い訳」です。)

ショールームを開設する前は、メーカー⇒総合商社⇒地方代理店⇒当資材店という流れが、通常の取引方法でした。しかし、それではわずかずつでも口銭を取られることで、仕入れ金額が高くなっていました。なので、出来るだけメーカーと直接の取引形態にすることが利益を生むと考え、その作業を徹底して行いました。(営業部長職でしたから)ショールームを開設したことや、流通ルートのカットをすることで社内・社外より嫌われる存在になっていたのです。(最終的に会社は喜びましたが。)

このコラムは、2010年に代表 矢田がブログにて掲載していたものを、新たに編集して連載しています。

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